昨日の晩のこと。
明日も良い天気そうやから、せっかくの休みを家で過ごすのももったいないなあと。
じゃあハイキングでも行こかいなあとなって。
が、なかなか行き先が決まらない。
そんな時、録画してたブラタモリを見てたんやけど、
これが京都の東山特集やって。
で、図書室から借りてきた関西ハイキングガイドの1ページ目が大文字山!
よし、行ってみるか・・・。
てことで、急いで調べて今日行ってみました。
朝6時に出て、下道も渋滞なしで、
銀閣寺近くのタイムズに着いたのが7時20分頃。
まわりには観光地値段の料金を取る駐車場が多い中、
ここは24時間停めてもたったの600円!
いやあ、空いてて良かった!
用意をして、すぐさま出発。
まずは哲学の道を歩いて南下します。
疎水沿いに続く道を2㎞弱歩いたかな。
初めて歩いたけど、いい道です。
春なら春の趣が、夏なら夏の趣が・・・。
桜だけじゃなく、きっと春夏秋冬それぞれにそれぞれの趣が感じられる道だと思います。
「ねじりまんぼ」・・・やと思ってたら「ねじりまんぽ」なんやね。
で、ねじりまんぽって何?
調べてみたら、このトンネルの中のレンガ、
ねじるように斜めに積み上げられてて、強度を上げてるのだとか。
そういうトンネルをねじりまんぽって言うらしい。
ちなみにまんぽは方言でトンネルとのこと。
どこの方言??
その上を走るのが蹴上インクライン。
その昔、琵琶湖疎水で船が航行する際、
高低差の大きな部分は船を台車に乗せて、
ケーブルカーのようにケーブルで引っ張ってたらしい。
それが蹴上インクラインだそうです。
もちろん今はやってませんが。
こんな感じで復元されたものもありました。
もちろんもう使ってませんが。
てことで、その脇からいよいよ登り始めます。
10分ほど登ると日向大神宮が出てきます。
境内を通るルートもあるみたいですが、
我々はもうひとつのルートを進みました。
最初は結構な登りで、涼しいのに汗をかくくらいでした。
ルート上にはこのような案内板が用意されてます。
交わる道の角度も割と忠実に再現されてるので迷うことは無いと思います。
ある程度登れば、道は適度なアップダウン、たまに平坦道。
眺望はありませんが、木陰で涼しくて快適に歩けました。
1時間10分ほどで山頂到着!
でも、山頂を表す看板はこれしかなかった。ショボい・・・。
意外にも山頂からある程度展望が開けました。
京都駅方面がよく見えます。
京都タワーをはじめ、あの辺だけ高い建物があるんやねえ。
山頂からはがっつり下らされます。
15分足らずで火床到着!
あの送り火ってこんなとこで火を焚いてるんやねえ。
そしてここからは大展望が開けます。
京都盆地を一望!
・・・と言ってもあまり土地勘がないので、
分かるのは平安神宮とか吉田山とか御所とか植物園とか、
緑の部分だけですけどね。
とりあえず「大」の文字の横棒部分まで下っていきました。
ここが「大」の文字の中心部分。
一番大きな火床がありました。
それにしても、ここまでほとんど人を見かけなかったのに、
さすがにこの辺りには大勢の人がいました。
これは「大」の文字の右のはらい部分。
なるほど火床が連なってますねえ。
火床からの景色を堪能した後、下山。
ここからもがっつり下らされます。
そして、火床まで登ってくる人たちがこれでもかと上がってきました。
家族連れが多かったなあ。
でも、結構急な登山道やからこっちから登るとかなりしんどいかも。
そうそう、途中ですれ違った女性がブラタモリの話をしながら登ってました。
同じ動機で登ってる人もいるんやね。
火床から20分ほど下ると、銀閣寺の入り口に到着。
さあ入ってみましょうか!
すごい人やけど。
中に入るとまず目に留まるのがこの向月台。
高さが180cmくらいだったっけ。
結構な高さに圧倒されます。
ただ、どういう目的で造られたのかは不明なのだとか。
横には国宝銀閣。
室町幕府8代将軍足利義政が応仁の乱などで荒れた都に嫌気がさし、
息子に将軍職を譲って、自らはここに別荘を建てて隠棲生活をおくったのが、
縁側でボーっと池を見ながら過ごしてたんですかねえ。
これも国宝の東求堂。
この中に「同仁斎」と呼ばれる4畳半の書斎があって、
それが4畳半のはじまりなんだとか。
義政はここで書や茶を嗜んでいたんですかねえ。
銀沙灘ごしに銀閣。
この銀沙灘も不思議なデザインですね。
なぜこのデザインなのかはこっちも不明らしいですが。
でも、この角度から銀沙灘、向月台、銀閣と見れば、
なんとなくインスピレーションがわいてくるようなこないような。
高台から全体像を見ることもできます。
あまりにも人が多くて、東山文化の特徴であるわびさび感は
これっぽっちも感じませんでした。
人が少ない時にじっくり見たらまた印象が変わるのかもね。
てことで、昼ご飯にラーメン食べて京都を後にしたのでした。